昔遊んでたゲーム

時々、昔遊んでたゲームが無性にやりたくなる時ってありませんか?

産まれて初めてTVゲームとして遊んだ、本当に初期のファミコンソフト。
隠し要素まで徹底的に遊び倒したスーパーファミコンのRPG。
爆発的ヒットになったものの、続編が2本くらいで止まっちゃって、その後音沙汰のないプレイステーションのパズルゲームとか。

どうにもそういう「記憶の中では永遠にマイベスト」みたいなゲームが、よくわからないタイミングで遊びたくなって、その都度昔のゲームハードを引っ張り出してくることが、僕はしばしばあります。

実際、ただ過去のゲームを遊びたいという理由だけで、テレビもAV端子ケーブルが使えるものをわざわざ探して購入するくらい。

重症かもしれません。

つい先日も、どういうきっかけだったのかなんてすっかり忘れてしまったのですが、昔散々遊んだRPGが無性にやりたくなって、プレイステーション2を引っ張り出してきました。

遊びたかったのは、「ウィザードリィ ~DIMGUIL~」というプレステ(2ではないです)のソフト。

このゲーム、自分がプレイするキャラクターを作成する形式なのですが、とにかく凄まじい勢いでこのキャラクター達が死んでいきます。

気持ち悪いウサギみたいなヤツに首をはねられて即死。
敵を倒した後の宝箱を空けたら、罠の爆弾が作動して全滅。
ダンジョンの奥の方で毒にかかって、一歩進むごとにゴリッとHPが減っていき、出口にたどり着くあと一歩という所で死亡。

本当にこんなのばっかりです。

更に、町にある教会でキャラクターを蘇らせてもらえるのですが、どういう訳か蘇生失敗して死体が灰になってしまったり。
それを更に蘇生させることもできるのですが、これも失敗することがあり、そうなるとキャラクターはゲームから完全に消滅。

冒険を進めて育て上げたキャラクターが、ちょっとした運の悪さで即消滅。
泣いても喚いても二度と戻ってきません。

何でそんな「マゾゲー」をプレイしていたのか。
しかも十数年後に突然やりたくなったりするのか。
不思議に思われる方も多いかと。

何だかこのゲーム、妙な中毒性があるんです。

敵を倒し、宝箱を開けると「ぶき」とか「よろい」とかだけ表示されたアイテムが手に入ります。
この状態だと、そのアイテムがどんなものなのかわからないようになっています。
お店で鑑定してもらうと正体が判明するのですが、これが何と言うか……くじ引きみたいでワクワクします。
たいしたことのないアイテムだったり、場合によっては呪いのアイテムだったりするのですが、時折物凄く強力な武器防具が見つかり、それを装備しただけで戦闘能力が一変することも。

そうやって強力な武具を見つけて、装備させ、強くなってまた強力な敵に挑んで、更に更に強力な装備を手に入れて……。

こういうのをゲームジャンルとして「ハック&スラッシュ」と呼ぶそうですが、そのどんどん強くなっていく感覚が癖になっていくというか。

しかも、下手を踏めばそんな強化したキャラクターが一瞬で消えることもあり得る訳です。
否が応にも慎重になりますし、そのヒリヒリ感もまたたまらなくなってくる。

やってみないとなかなか理解しづらい感覚だと思います。
ですが、このゲームを最初に遊んだ頃の僕は一気に虜になってしまい、
「あーッ! なんでこんな所で罠ひっかかるんだよッ!」とか、
「え? 今何で死んだ? いつの間に死んだんだ? マジかよ!」とか、
酷い悪態をつきながらも、寝る間を惜しんでプレイしていたものです。

流石に今プレイしてみると、「やっぱりグラフィックが荒いな」とか、「ちょっとストレスになるくらい動作が遅いな」とか、どうしても昨今のゲームと比べてしまいがちになります。

アイテムの解説文などを見ても、基本は「だ、である」で統一されているのに、ぽろっと「です、ます」になっているものが混じっていたりして、苦笑いを浮かべるなんてことも。

それでも当事のワクワク感というか、思い出補正のようなものが遊んでいる内に沸きあがってきて、気付くと時間を忘れてプレイしてしまいました。

ただ、若い頃と同じ調子で遊んでいると結構ぐったり疲れてしまい、ゲームをプレイするのも体力がいるんだな……と痛感した次第です。
年取ったなぁ……。

スマホで遊ぶゲームアプリもお手軽で楽しいのですが、やっぱり実際の機体で遊ぶのっていいよなと感じるのは、自分が「回顧厨」とかいうヤツだからなのでしょうか。

でも、良いものは良いし、面白いものは面白い。

しばらくはこの「ウィザードリィ ~DIMGUIL~」を、昔のセーブデータを使わず最初からプレイすることに力を注ぎたいと思います。

ちなみに現時点で既に何人かのキャラクターがお墓の中へ行ってしまいました。
これはそういうゲームだから!

皆さんもご実家などに昔のゲームハードがあったら、一度遊んでみてはいかがでしょうか?
懐かしい記憶が蘇る、楽しい時間が過ごせるかも。

今年の北海道は雪が全く降らない

今年の北海道は、12月1月と雪が全く降らず。
詳しく言うと、降っては気温が高くなり雪が溶けて全く積もらない状態が続いていました。
通常では見ることのできない真冬のコンクリートに、雪かきをする住人がいない朝、遅延することのない列車・・・私が今まで生きてきた中で最も雪を感じない年越しでした。私は北海道の気候が好きですし、雪も冬も嫌いではないのですが、雪道がとにかく苦手です。
生まれてからずーっと北海道で暮らしていますが、真冬のツルツルとした路面になると足がすくみ、歩くスピードが急激にダウンするのです。北海道観光に訪れている人々よりもへっぴり腰になり、ペンギン歩きで進みます。私の冬の戦いは靴選びから始まり、いかにすべらない靴を買うかが勝負です。靴の裏はしっかりチェック。素材は?靴底の厚さは?スパイクは?氷の地面にしっかり吸着する構造であるか?などが私の着目点であり、ここが私の冬を快適に過ごせるかの大事なポイントになるのです。
なぜ私が冬道が苦手になったか。それには理由があります。小学校3年生の冬。当時流行っていた、フルーツのいい香りがする色付きボールペンを買ってもらえた嬉しさで雪道でスキップ。転倒し、左手首を骨折したあの恐怖が今でも私の体を支配しているのです。先ほど雪道といいましたが、あの日は冷え込みが激しく雪道というより氷道。ツルツルと輝きを放つスケートリンクの上でスキップをしてしまった当時小学3年生の私はお尻をつけばいいものの、腕で自分の体をかばい、その左腕の骨を折ることとなったのです。転んでしまった私を両親はすぐ病院につれていきました。そこでの診断は捻挫。湿布を処方してもらい帰宅するも、寝てからも治まらない痛み。ジンジンジンジンと体に響き、寝てられない。そして痛い。耐えきれずに泣き出した私を見かねて、両親は再び病院へ。レントゲンの結果。骨折。子供の時は折れているのが判断しずらいことがあるそうです。そんなのあり?と子供ながらに思ったものの、ギプスを付け、学校のみんなに大丈夫?と心配され、私の心は徐々に癒され・・・そして骨もくっついていきました。そこから何十年もの月日が経とうとしておりますが、骨折いや氷の地面に対する恐怖心は消えぬまま。ましてや子供心や無邪気さはなくなり、大人の型にすっぽりと入る年齢になった私はすべる恐怖とすべった時のあの冷っとする2段階の恐怖に苦しんでおりました。でも冬はいつかは終わるもの。春は私の一番好きなの季節です。春生まれということもあるのでしょうか?あの雪道をあるかなくていいという解放感。スノーブーツじゃなくてスニーカーやパンプスが履ける喜び。少し寒い空気の中に新しい出会いの匂いがする。そんな春が私は大好きで、そこがあるから冬を乗り越えられているようなところもありました。
今年は特に東京オリンピックもありますし、仕事も春に向けて新しい仕事を探してまた別のスキルが身につけたい!そんな希望に満ち溢れた気持ちで2月を迎えていました。本来道民にとって2月は気を緩めてはいけない季節です。ドカ雪と呼ばれる、バケツからひっくり返したような雪の塊が一日いや一夜で降ることも多く気を引き締めて臨まなければならない月でした。しかし私は、今年は雪が少ない、気温もそんなに冷え込まないだろうと油断をしてしまったのです。先週訪れた冷え込みにより、地面は氷の地面へ。恐怖のブラックアイスバーン化してしまったのです。油断している私は、信頼してやまないコールマンのスノーブーツを履き出かけました。氷点下、-10度によって冷却された氷の地面の上に積もる雪に右足を取られ、そのまま転倒。左足首を骨折。内側と外側の靭帯も伸ばすというフルコンボ具合によりギブス&松葉杖生活をスタートさせたのです。驚くぐらい一瞬の出来事でした。景色は一瞬のうちに反転し、転んだ現場には殺人現場のように人型の雪跡。でもその時思いました。「あ、やったな」って。その痛みは激しく、動悸息切れ吐き気脂汗・・・息も絶え絶えに玄関に倒れこみ、ひたすら自分に大丈夫と暗示をかけました。その日はちょうど日曜日。時間も遅く、とりあえず次の日まで安静にすることに。もう自宅に着いた段階でまともに歩くことが出来ず、片足で壁伝いに歩いていました。患部は素人目でもわかるほど腫れあがっており、しかし熱はあまり持っていませんでした。今考えれば、かなりの冷え込みだった為、暖房が追い付いておらず足先は冷えていました。それもあってか足首も冷え冷えで、能天気な私は骨折したと思いきや捻挫じゃない?とか考えていた訳です。その予想は見事に外れ、フルコンボを食らう羽目になったのですが。足が不自由な生活を送って思うことは、体ってホント大事だなってことです。月並みなんですけど。リビングで入れたコーヒーすら自室に持ち込むことが出来ない生活。もっと自分の体を大事に、あと完治したら鍛えようと思いました。心から思ったことは、今回は足首で済みましたが、あの勢いの転び方は頭を打って運ばれていてもおかしくないって事。今思い出しても恐怖しかないのです。また新たな恐怖を増やしたところで、来年の冬は北海道脱出したいと思います。どうも私は冬道と相性が悪いようです。

子供と喧嘩をしました

今日また子供と喧嘩をしました。毎日毎日、ちょっと嫌になります。
私は専業主婦です。
つい、最近仕事を辞めました。
主人が十分に稼いでいてくれるとはいえ、やはり何となく、肩身の狭い思いをしながら生活しています。
私の毎日の仕事は、朝ごはん作り、そして子供のお弁当作り、そして、洗濯掃除、片付けなど。
買い物にも行きます。
ストレス発散はとてもベタなのですが、 昼寝をすること、そして甘いものを食べること、 でしょうか。
ネットでお買い物することも大好きです。某大手ネットショッピングサイト、 月一でポイントを大還元するのを是非ともやめていただきたいくらいに
いつもつられてお買い物しています。
旦那に知られないように買い物するというのが、なかなかの醍醐味です。
後はハムスターの世話、ハムスターなので名前を出させていただきます。
ハムスターにプライバシーはないので。メスなのですが、チロちゃんのお世話をするのが楽しいです。
なるべく避けていた車、あまり運転は好きではないのですが、最近はあまりの寒さと、花粉症のために毎日のように乗りまわしています。
重いものなど買った時には、本当に便利ですね。
ちょっと前まではコープさんにお願いしてお水などを持ってきてもらっていましたが、仕事も辞めたのでコープさんもやめてしまいました。時間はたくさんできたのですが、全く有効活用できてません。
子供が言うには、本当に私はダラダラしているようです。運動不足にも陥ってますし、どうやら早いこと何かを始めた方が良さそうです。
ところで今は、私は割と山の方に住んでいます。 田舎なのではなく、都会なのですが家が山の上にあるということです。お店がコンビニしかないのでそういう面ではやや不便ですが、とても静かでいいところです。
元々の実家は、とても田舎で小さい街でした。 田舎育ちの私はそんな環境が嫌で嫌でたまりませんでした。
そして今、都会に出てきて生活していますが、昔の生活がとても懐かしく思い出されます。本当にしょっちゅう爆発しては帰りたくなっています。
お金もかかることなのでそうそう何度も帰ってられませんが。
今になって気づくこともあるというか、ああ、あの頃は幸せだったんだなぁと 思ったりします。
ちょっと、スキンケアの事でもお話しします。スキンケアは大したことはしていませんし逆に、色々凝ったことをやらない方がいいんではと思っています。
メイク落としは格安大容量でたっぷりとメイクオフします。
そして恥ずかしながら、牛乳石鹸で洗顔します。ない時は何でもいいから石鹸、大体、浴用石鹸を使うことが多いです。
化粧水はあまり使ったことありません。大体サラッとしたオールインワンタイプが大好きで使うことが多いので。化粧水→乳液というのはどうやら私の肌にはあまり合わないようで、ニキビができやすいです。
オールインワンタイプはそれなりに値段も高いので、必ず詰め替えを買って節約しています。
正直面倒くさがり屋なので、そこまで
やってあー頑張ったなあという感じなのですが、やはり少し潤いが足りないみたいなので、週に2回か3回オイルを顔や髪に塗りつけています。
後はリップケアに気を使い、冬でもUV もの潤いたっぷりなちょっと高価な物を使用してます。
これが私のスキンケアです。
あと、好きな音楽なのですが最近はキングヌーさんにとってもはまっています。
そうです、あの紅白で白日を歌い私は涙目にさせてくれたキングヌーさんです。
特に井口さんというボーカルは、とっても歌がうまく、ラジオもやっていて よく YouTubeにあげられているのですが、キャラクターが本当に面白く何年かに一度の逸材だと思っています。
キングヌーさんの歌は、初めて知ったのが白日であれより素晴らしい歌はないだろうと思っていましたが驚くことに他の歌もとても素晴らしいのです。
是非ともオススメしたいアーティストさんです。
もう一人大好きなアーティストは、RIP SLYMEのpesさんです。
今はライブをメインに活動されています。
何度か、私の住んでいる横浜にもライブに来て下さったので生で拝見させて頂きました。
とてもカッコよかったし、ファンサービスも凄いし、さらに大好きになりましたね。
主婦のわたしですが、ライブはわはり夜がメインなので中々行く事が出来ません。
ですが、pesさんのライブだけは主人にOKを貰って行かせて貰っています。
そういう感じで
人生には色々楽しみが沢山あり、お友達とランチを楽しむ事なども私は大好きです。
若い頃、多感な頃、私は死んでしまいたいような事も沢山ありました。
学校は不登校で、中退し、もう全てが終わってしまったような、、
でも、身体は健康ですし、両親共に健在で元気で。
あの頃には見えなかった、分からなかった事が、今は色々と分かるし、分かる様になりました。子供はいまそんな多感な頃の真っ最中ですが、、
フォロー出来る事は少ないとは思いますが、出来る限り長い目で見てあげたいと思ってます。

あぁ、また朝が来たんだな

カーテンの隙間から白い光が差し込んだら、「あぁ、また朝が来たんだな」と布団の中で思ってしまいます。

それと、同時に目覚まし時計がけたたましく鳴り響くので、「やれやれ」と重い体を引きずるようにして体を起こすのです。

最近は、「冬だっけ?」と首をかしげたくなるほどの暖かさのせいか、パジャマのままでキッチンに立ってもブルッと震えることもなくなりました。

のんきにあくびを1つしたら、いつものように鏡の前で顔を洗って、歯を磨いて、目の下のクマを見ては「何年も重なってできた疲れ、いや、勲章」と言い聞かせるのです。

勲章の下に人差し指を置いて、濃さをチェックしたら、いよいよ着替えに移ります。

朝、昼、夕方と移り変わる温度変化に加え、標高差を考えて、何を着て、何を鞄に入れておくか、車内に置いておくかを決めていくのが、ちょっとした毎朝の楽しみです。

今日は10分で着替え、持ち物の準備と決めて、ラスト10秒のギリギリセーフで完了できました。「やったね」と心の中で呟いて、小さくガッツポーズなんかもしてしまうから、朝から楽しいんですよね。

着替え、持ち物の準備と終わったら、いよいよ顔作りです。

乾燥が気になるのは、四季のどの時期もですが、季節に加え、年齢によって、乾きの度合いがひどくなってきてるなと思うようになりました。

保湿重視なので、導入化粧水を念入りにして、朝パックを開始、その間は録画しておいたテレビ体操をします。

ただ、10分したいパックですが、全ての体操に取り組むと仕事に遅れるなと思うと、半分しかできないのが運動好きの私にはもどかしく感じるところなんです。

不器用なので、パック時間にかけたい時間分、メイクに時間がかかってしかたがないんですよね。

さて、パックを剥がしたら、ちょっとした至福の時間の訪れです。

なぜなら、使っている保湿クリームの香りがイチゴミルクだからです。もう、指先につけた瞬間から、「甘い、癒される」と叫びたくなるくらい優しい香りなんです。

「私って、女子?」

「うん、女子、女子!」

と、朝から一人でテンションを上げてくれるアイテムでもあるから使わずにはいられないんです。

テンションを上げながら、ベースメイク、目の下のクマの濃さに合わせてアイメイクを施したら、一度メイクを中断します。

リップを塗る前に、朝ごはんを済ませてしまうんです。

ちなみに、今日の気分は卵だったので、不器用ながらに卵を巻き巻きして作った卵焼きを頬張りました。

あれ?よく考えると、ほぼ毎日、卵を食べている気がします。

それもそのはずで、私はとても不器用だからか、卵焼きも久しぶりに作ると形がつぶれてしまうんです。

だからか、もう容赦なく、卵を巻く練習をしなくちゃと、毎日卵焼き、3食卵焼きが続くことがあるくらいなんです。

というわけで、今日も卵焼きでしたね。

卵焼き以外のおかずは、ささっと口にかきこんだら、食器もささっと洗って、メイクの総仕上げです。

リップメイクはベースメイク、アイメイクの次に気を遣います。

私の唇はペタッと薄いので、いかにふっくらしているように見せるかがポイントだからです。

憧れの読者モデルさんが愛用しているといっていたリップを使用して、「目指せ、ふっくらリップ!」と、心の中で自分にエールを送ります。

時間も気にしながら、唇にのせるリップ、リップグロスの量を調節するのが、緊張の瞬間でもあります。

最後の一塗りを終えたら、鏡で全体をチェックして、メイクは終了です。

「お疲れさまでした」なんて、鏡の前で一仕事を終えたかのような安堵感を覚え、束の間、ボーッとしたら、「ハー」と重たいため息が代わりばんこのようにお出ましです。

「転職しようかな……」と、心の声が表に出たら、それはいってきますの合図なんです。

いつか、この仕事から離れる、そんな気持ちを持たないと、繰り出す戦場、いやいや職場で精神的に負けてしまうような気がするんですよね。

なんて、さっきまでの持ち上げたテンションはどこへいってしまったんだろうと思うくらい、急にテンションが下がってしまうのが、職場に行く直前でもあります。

部屋を出て、靴を履いて、ドアノブをがチャッと捻って、鍵をかけて、ドアに背を向けて、職場に向かって、歩き出す、その時間がメイク以上にかかるので、毎日、気が気ではありません。

とはいえ、「行かないわけにはいかない」と唱え、唱えながら、玄関まで行ったかと思ったら、今日はまさかの鞄を持たずに玄関まで来てしまったので、振り出しに戻ってしまいました。

玄関から鏡の前まで戻る足取りのなんと軽いことかと呆れるほどです。

また、再び、「行かないわけにはいかない」と唱え、唱えながら、玄関までやってきて、今度こそ、靴を履きました。

踵をトントンして、両足に力を入れて深呼吸をしたら、勢いよくドアノブに触れます。

今日は静電気が発生しにくいコーディネートだったためか、それとも手の平で勢いよくドアノブを握ったからか、どちらのためかはわかりませんが、バチッとやられることがなく外に出れました。

私占いではないですが、静電気がバチッとこなかった日は平穏無事に終われる気がして、そして、1日終わって思えば、トラブルもなく、過ごせたので、良かったかな、とホッとできるわけです。

飲酒運転をやめよう!

今度、大阪城ホールで行われるSDDライブに行きます!
SDDというのは、StopDrunkDrivingの略です。
つまり、飲酒運転をやめよう!という意味ですね。
飲酒運転撲滅運動って言葉としては聞いたことがあるけれど、あまりそこから意識して何かをしたことはありません。
そもそも私はお酒を飲まないので、あまり関係ないことという意識の方が強いのかなと思っています。
私の周りの人も、私が飲まないと言うことは分かっているので、夜に食事に行く時も、基本的にはお酒よりも料理が美味しいお店を選んでくれるので、全然気を使いません。
今は車も手放してしまったので、関係ないのですが、車を所有していた時も誰かが飲むなら運転する側になるよというスタンスでいたので、特に問題もありませんでしたね。
そんなわけで、いまいち私にとっては遠いような問題に感じていました。
そんな私がなぜこの飲酒運転をやめようという運動を知ったのかというと、電車の中でポスターをたまたま見たからです。
SDDライブと書かれていて、その下に、出演するアーティストの写真がありました。
その中に、スターダストレビューや藤井フミヤ、家入レオ、TRF、西川貴教などの有名アーティストの姿があったので、「これは一体どんなイベントなんだろう?」と興味を持ったことが始まりでした。
ポスターにも記載されていたのですが、調べてみると毎年行われているイベントのようで、SDDライブという名でSDDの活動を広める目的で行われているようです。
ちなみにこのライブはチャリティーで行われているので、チケット代は寄付に回ります。
でも、そもそも2000円という破格の安さ!
すごいアーティストばかりなのに、こんなに安く、そして大阪城ホールという有名なホールで楽しめるって不思議ですよね。
そういう理由もあって、チケットは抽選となります。
何度も抽選期間が設けられているのですが、私は最初の申し込み期間で当選しました!
早く知れて良かったな~と思う反面、どんなイベントなのかまだよくわかっていないので、当日どういう感じになるのかすごくわくわくしています。
普通のライブと違って、グッズの販売などは当然ないだろうなという予想です。
でも、チャリティーとして開催されるから、募金や寄付できるような仕組みはあるのかなと予想しています。
もちろん、今まであまり気にしていなかったけれど、今回を機にちょっと意識していきたいなと思っているので、寄付や募金ができるなら行いたいという気持ちがあります。
最近は飲酒という問題以外でも、運転が注目を浴びていますよね。
高齢者による運転や、あおり運転などの危険な運転、ドラッグを使用しての運転など…。
自分の親も60歳を超えているので、高齢者の運転は他人ごとではありません。
でも、住んでいる地域のことを考えると車がないと生活できないなとも思ってしまいます。
なかなか難しい問題でもあるのですが、だからと言って、自分がすごく運転に自信があるとは言えません。
特に今は車を手放してしまったので、運転する機会がぐっと減りました。
実家に帰った時や旅行の時には運転することもありますが、年に一回くらいでしょうか…。
そもそもとして運転技術があるとは思えないので、自分がきちんと運転できているのかって不安があります。
あおっているつもりはないけれど、あおっていることもあるのかもしれません。
それに、他人から見たら、おかしいと思う場面は多いかもしれませんね。
自分だけだと気が付かないことなので、やっぱり不安を感じます。
ドラッグなどを使用した運転って言うことは関係ないものだと思っていますが、持病や急な病気で意識を失うということも稀にありますよね。
風邪で薬を飲んでしまったのに、運転してしまったという人もいるのでは?
お酒もそうだと思うのですが、すぐそこまでだから大丈夫なんて気持ちで運転して、とんでもない出来事を犯してしまうこともありますから、やはり自信が持てなければ運転しない方がいいのかなって思います。
今回、ライブに行くって決まらなかったら、たぶんあんまり考えなかったことのように思います。
有名なアーティストに惹かれていくことを決めましたが、抽選で外れていたらたぶん「そっか」で終わっていたような気がします。
当日は楽しむと言うことはもちろんですが、改めて飲酒運転やそのほかの危険な運転につながることをもっと意識していけたらなと思います。
ただ、それでも、当日参加するスターダストレビューは本当に楽しみです。
昔からスターダストレビューは好きで、特に木蓮の涙は好きな歌の一つです。
生で聞けることができるなんてもうないだろうなと思うので、しっかりその歌声と演奏を心に刻んでいきたいです。
もちろん、他のアーティストの演奏もすごく楽しみなので、しっかりとその日の演奏を楽しんで、素敵な思い出にしたいなと思います!
早く当日が来ないかな♪

彼女と浮気女の話

これは約2年付き合った彼女と、その間に浮気していた女性の話です。
(女性が2名出てくるので、前者をA子、後者をB子とします)

A子との初めての出会いは、僕が今の会社に入社してから。部署も違うので仕事上の関係は直接的にはなかったのですが、年次が1つ上で、仲良くもしてくれて、面倒も見てもらうことも多く、最初は会社の先輩として仲良くしておりました。
ですが、社会人2年目の時に僕の部署異動があり、なんとOJTに…。
元々仲も良かったので、会社でも仲良く話すことが増え、食事に行ったり、出かけたりする中で、結果付き合うことになりました。

20年と少し生きている僕にとって年上の彼女は初めて、且つ憧れだったので、当時は当然ワクワクでした。

A子の趣味はフェスに行くこと、旅行に行くこと、料理をすることで、お互いマッチしたのは「フェスに行くこと」でした。
というものの、僕はフェスに行ったこともなく、フェスに行く人たちを小馬鹿にしていたタイプで(当時ばかにしていた方ごめんなさい笑)、連れられるように行ったら見事にどハマり。

今思えば、言いなりのように付いて行ったのが良かったのか、悪かったのか…というところですが、今となっては良かったです(意味は後にわかります)。

でも、やはりプライベートと仕事を分けるのは僕にとっては難しく、仕事上でA子と言い合いになっては家でもケンカ。
社内に行けば先輩たちにイジられ…。
そんな厄介な関係をA子には話せず、自分で抱え込んでしまった僕は、鬱になり休職をしました。

休職期間は3ヶ月。
世の中にはもっとしんどいことをされて休職をする方もいらっしゃるから、簡単にこんなことを書くのは失礼なのですが、本当に休めて良かったと今は思います。

休職期間に入ると本当に色んなことが分かります。
仕事のことも、日常のことも、人間関係も何もかも…。
特に人間関係。それもA子とのことです。

勘違いしていただきたくないのは、A子がこの期間に僕を放置していた訳ではないこと。
仕事を早く終わらせて来てくれて、ご飯を作ってくれたり、色々な話を聞いてくれたり。

でも気づいてしまうんです、いや、色々気づいてきてしまったんです。
”この人といて楽しいのか?”って。

もちろんその時は楽しいって思ってはいましたが、日に日に「疲れるな」「デートも行くの面倒臭いな」とか、なぜかそういう考えが出てきてしまうんです。

色んな思いもありながら、休み初めてから3ヶ月経ち、職場に復帰。
部署の異動もあり、少し負担の少ない部署になりました。

そんな時に出会ったのがB子。
元々社内に同い年が少なく、B子はその中でも唯一の同い年だったこともあり、復帰してすぐに仲良くなりました。

ある時、復帰のお祝いにと、部署メンバー計20名くらいでの飲み会を開催してくれることに。
当然B子もいて、隣の席だったこともあり、意気投合。
普段はお酒が強い僕ですが、気分もよくなりベロベロに…。

フラフラになりながら帰ろうとした時、ふとB子から「友達の家がそっちだから一緒に帰ろ?」と言われ、タクシーへ。

酔っ払いなのと、「男ってクズだな」と思われても当然なのですが、2人してタクシーでベタベタ、手も繋ぎ、エスカレートしてキス。

”友達の家に行く”と聞いていた僕も、そう言っていたB子も、躊躇なく流れで僕の自宅へ。

家でも当然止まらずベッドまで…そのまま一夜を過ごしました。

B子とはそんなはじまりでした。
それからというもの、僕もB子も、僕がA子と付き合っていることを分かりながら、
2人でご飯へ行ってはホテルへ。2人一緒の飲み会があればまたホテルへ…。
B子は体の関係もある、仲のいい友達として付き合っていました。

B子とのそんな関係を続けていると、先に書いたように、「面倒臭い」と思っていたA子との関係に飽き飽きし、ケンカも日常的に増えていきました。

ただ、事件が起きます。
A子が、僕とB子がSNSで仲良く連絡していたのを知っており…。
A子はアカウントを見つけてDMで喧嘩口調の長文を送っていたことが発覚。

体の関係がバレたのではなく、仲がいいことに腹を立てDMが送られていたこと。
もちろん僕も色々言えないことがあるのはわかっていますが、ブチギレの大ゲンカ。

結果的に別れることになったのですが、
お互いに言えない・言わない性格だった分、許容範囲を理解できなかったこと、それが今思えば一番の理由かなと思います。

別れたその日、僕はすぐB子へ連絡。
…というものの、(僕は本当にクズなのですが)別れる1週間前から連絡はしていて、「好きだ」ということは伝えていました。

「明日会おう」と連絡。
休日だったので、その日は1日デートをしました。
その夜。いつも通り、今まで通り2人で一夜を過ごすことになり、改めて「好きです、付き合ってください」と告白。
結果はOKで、付き合うことに。

付き合って2ヶ月。
今、色々聞いてると「初めて会った時からタイプで好きだった」「彼女がいることも知らなかった」と、お互い様だったようです笑

B子には色んな相談もしていましたし、人としてもタイプとしても気になっていたので、今は本当にB子で良かったのと、
”付き合う”ということの難しさを分かった、教えてくれた2年は、今のB子との未来へ大切にしたいなとも思えました。

だらだらと僕のクズ話をご覧いただきありがとうございました。
感想ございましたらお願い致します。

THE WiFi を実際に使ってみた感想!メリット、デメリットとは?

通信制限無し、無制限で使い放題で話題のTHE WiFi。

5Gアップグレードプログラム対応予定など気になるサービスですが、実際のところはどうなのでしょうか。

 

今回は私が実際にTHE WiFiを使って感じたメリット、デメリットと感想をご紹介します。

 

THE WiFiの3つのメリット

通信制限なし、無制限のWiFiを利用する事ができる

THE WiFiはデータ通信容量無制限で、どれだけ使っても通信制限に悩まされる心配はありません。

 

他のポケットWiFiの場合、無制限といっても3日で◯GBまでなど混雑を防ぐためにある程度の制限がある場合が多いです。

しかし、これではYouTubeやオンラインスマホゲームをたくさん使う人にとっては足りず、困っている事がありました。

 

THE WiFiにはそんな制限も一切なく、本当に無制限で使う事ができます。

携帯のギガが足りず頭を悩ませていた私へのまさに救世主でしたね。

 

国内15万ヶ所のWiFiスポットを利用できる

THE WiFiには2つのプラン、THE WiFiとTHE WiFiライトがあります。

THE WiFiプランに契約した場合、国内15万ヶ所のカフェやレストラン、公共交通機関や施設のWiFiスポットを利用する事ができます。

 

もし、ルーターを忘れてしまったり、バッテリーが切れてしまった時にもこの、Wi-Fiスポットを利用する事ができるので安心して使う事ができます。

 

ライトの方が料金が安く設定されていますが、3ヶ月目までは同じ値段で利用する事ができるので、近くに対象のスポットが多くある人は、利用するべきだと言えます。

 

3大通信キャリアの全てのLTE回線に対応

THE WiFiではソフトバンク、ドコモ、auのLTE回線に対応しており、利用エリアや繋がりにくい建物に入った場合、繋がりやすいキャリアの回線に自動的に切り替わり安定した快適な通信環境を得る事ができます。

 

例えば、ソフトバンクの回線で繋がりにくい時はドコモの回線になど切り替えて使う事で建物の中では繋がらないなどのトラブルを解消しているのです。

 

数あるポケットWiFiの中でも3大キャリアを利用できるのは一部のサービスだけになっていて、1つの回線のみだと混雑した時に回線がパンクしてしまわないように、通信制限のように重くなってしまいますが3つならその心配も少ないです。

 

そのため、3大キャリアの回線を利用する事ができるのは大きなメリットと言えます。

 

THE WiFiの3つのデメリット

端末を選ぶ事ができない

THE WiFiでは端末を選ぶ事ができず、U2sという端末のみとなっています。

この端末に少し難ありでして、まず、起動に時間が少々かかり、接続までに時間がかかります。

 

これが私にはストレスで、ずっと電源をオンにしている人にとってはなんでもない話かもしれませんが、バッテリーも気にしなければならないためそうもいかない事が多く、毎回の起動にストレスを感じなければいけませんでした。

 

また同時に接続できる台数が他の機種の端末に比べて、少ないです。

最大接続可能台数8台という機種が多い中、この端末は6台が限界なようで、他の端末と比べると少ない傾向にあります。

 

複数人で使う予定のある人にとってこれはデメリットと言えるでしょう。

 

エコネクトの評判が悪い

THE Wi-Fiプランの国内15万ヵ所のWi-Fiスポットが利用できるというのはエコネクト社の提供するもので、このエコネクト社の評判がすごく悪く、ここに不安を感じてしまいます。

「Wi-Fiスポットが使える!」を売りにしているようですが、エコネクトの評判はよろしくなく実際にAndroidでは使えませんでした。

また、スマホに悪影響が起きるようなので、怖くて本当ならインストールすらしたくなかったです。

引用元:Wi-Fiの森「THE WiFi を1ヶ月使った感想とデメリット|口コミ・他社比較まとめ【どスゴイ】」

「ネットワークの挙動がおかしくなり、iPhoneを初期化しなければならなくなった。」

「アプリをインストールしてから、自宅のWi-Fiに自動接続しなくなった。」

「エラーが続き、サポートに連絡した通り手順を踏んだが、一向に直らなかった。」

 

アプリの評価は星2以下になっていてこのような酷い評価のアプリを使わせるなんて信用に欠ける部分があります。

アプリをインストールすると不具合が出るなど私は使いたいと思いませんでした。

 

5Gアップグレードプログラムの落とし穴

5GアップグレードプログラムはTHE WiFiならではのサービスですが実際のところあまりお得ではないのかもしれません。

 

どのような内容かというとまず、対象となるのは24ヶ月以上利用した人のみ。

その対象の人には5G対応端末への切替手数料3000円が免除されるだけというものです。

24ヶ月継続して使い続けるかどうかはわからないですし、あまり期待して契約してしまうと、後悔してしまうかもしれません。

 

THE WiFiはオススメできる?

結論から言うと、THE WiFiはオススメできません。

ポケットWiFiにありがちな通信が不安定ですぐに切れてしまうということは、3大キャリアの回線を利用していることで解消されているものの、月額料金も安いとは言えず、端末が選べないなどのデメリットが多いと言えます。

 

5Gアップグレードプログラムは聞こえはいいものの、縛りもきつくものすごくお得と言うわけでもないようです。

これを読んだ方は、もう一度他のWi-Fiと比較してみるといいでしょう。

だめんず・うぉ~かーを地で行く私の日常の話

「いまどき男子」と一言では片づけられない、趣味のスポーツを通じて、最近出会った男子たちの生態について書きたいと思います。

55歳Z氏、仕事は自営業。
人生、お金の裕福さより時間の裕福さを選んだという、早期リタイアし、趣味に時間をかけているという触れ込みで、最初は素敵な生き方だなと感じていました。
個人的にスポーツに誘われる様になり初めて行った日のことです。
スポーツを終えランチへ行くと、メニューを見るなり「高い!高い!」の連発!私がリクエストしたお店でもないのに、自分がチョイスしたお店にも関わらず、何でなんだろう⁈と、少し不快に思いながらも食事を終え、デザートで今度は私のリクエストしたカフェへ行きました。
すると、ソファーは気持ち良かったらしく、今度は「ゆっくりできるから俺、水だけでいいんだけど」との発言…。
もう驚きと不快感で二度と二人はよそうと心に決めた一日でした。
が、その後も趣味の場で会うこともあり、仲間内で飲み会もあり、一緒になることがあった為、お支払いの場面に何度も遭遇することがありました。
その都度、税抜き価格の金額から更に少しずつ少なく支払っているあたりがとても不快でなりません。
「そんなにけちるなら働けよ」と心の声が漏れてしまいます。
そんな彼とは他のメンバーの手前もあるので距離を保ちつつ、個人的なお誘いからは逃れている日々です。

さて次は、同じ趣味つながりのQくん33歳のお話。
やはり食事に行った時のこと、「細かいのこれしかない」と少し足りない金額を渡されたので支払いに行ったのは私…。
いつも遠出や、車が必要な場所へ行く時は、彼が車を持っていない為、私が出していました。
いつもは行と帰りとか分けて、私も運転をしていたけれど、その日はほぼ彼が運転してくれていたので「今日は運転してもらったから私が払うよ」と言ったことを素直に受け入れられ、私が支払いを済ませたことがあった日のあとのこと…。
1,000円位のランチでの支払いで、ペイを使うつもりでお財布を出さずレジへ…すると珍しく彼が払ってくれて(あれ⁈おかしいな?)と思っていたら、すかさず「平等なんだからさ~財布も出さず待ってんのやめてくんない」と…。
びっくり仰天!!
少し前にすんなりおごられるのを受け入れていた人のいうセリフ⁈と、驚き満点の出来事に出くわし、これまでの事が走馬灯のように思いおこされました。
彼とも数々あったけれど、うちでありあわせのご飯を出したことが、たかられるきっかけを作ってしまったと、今になると思います。
「またご飯が食べたい」とか、「癒されたい」とか、「ただ炊き立てのご飯食べたい」とか、誰かに必要とされたら、それに応えたいと思う私の心理を利用して漬け込まれ、骨まで食いつくされるところでした。
万一、素直に愛情や家庭の温かみが欲しかったならば、それならそれなりに食材を買うお金を入れるとか、何かしら差し入れを持ってくるとか、そういう気持ちがあってしかりだと思いますし、それもなく平等とは程遠い行動をしておきながら、平等を口にするとはあきれ果てました。
ただ単に気が利かないのか⁈は、真相は不明です。
私も全く言わなかったわけではありません。
「作るのはいいけど食費入れて」と言ったことがありました。
彼からの返答は「いくらくらいかな~⁈」と。
買った食材の金額を折半してくれないと、金額いくら払えばいいかわかんないよ。
と、いう事なのだと察し、「家は解放してもいいけど、ご飯は持ってきてね」と言うと納得されました。
彼は人との会話に飢えているだけなのか何なのか⁈ただ趣味のスポーツを一緒に楽しんだり、ご飯を一緒に食べたり、おしゃべりしたりするだけの関係で、いわゆる草食系男子。
この彼には、骨まで食べられないように注意しつつ、距離を保ちながらいようと思います。

そんな、いまどきな彼らを目の当たりにすると、やはり古き良き時代の「昭和の男」が恋しくなるものですが、本当の意味での昭和の男は、この令和の時代にはもう絶滅危惧種となっているので注意が必要です。

見た目は令和、中身は昭和⁈P君のお話。
一見チャラ男の雰囲気のあるP君、近づかないでおこうと、なるべく視界に入らないようにしていたのに何故か目立ってしまう私…その趣味のスポーツは女子率が低い為、どうしても目立ってしまいます。
声を掛けられ仲良くなってからは、プラスポイント方式なので(チャラ男でマイナス印象から入っている為)どんどん仲良くなれました。
それは、前の2人とは違い「男気」があったからです。
食事も男が出して当たり前というスタンスで、スマートだしプラスポイントでした。
送り迎えも当たり前で、とても心地良かったものです。
しかし…これがだめんず・うぉ~かーを地で行く私です。
そんな天国のような男を選べるはずがなかったのです。
これまで紳士的だった彼から、「ごめん!今日財布忘れちゃった」という日を境に、最初は1,000円、2,000円のたばこ代、ジュース代が、そのうち電気代、ガス代にかわり、そうこうしていると家賃へと金額はどんどん上がり、払えないと伝えると泣き落とし、はたまた暴れるという荒業に!
お金も「返す、返す」詐欺なので、それが重なり金額も大きくなり、私も耐えられなくなってきて「自殺」を考えるようになりました。
でも、自殺したところで彼は何も変わらないと思い、そのうちに「殺したい」と思うようになり、離れることを決意し、今に至ります。
そんな彼からは、お金が無くなると連絡がくるという状況が続いていますが、全てシカトしています。
シカトしていると相変わらず暴れているようで、何十件も怖いスタンプ押されたりしています。

相手を変えることは無理なので、自分を変える努力をしている最中です。
だめんず・うぉ~かーを地で行く私の日常、これからは波乱万丈でなくする為、日々穏やかな道を選んで行きたいです。

久しぶりの銀座

今日は久しぶりに銀座に行きました。特に買いたいものがあるわけでもないのにどうして銀座に行ったかというと、中国人観光客が消えてしまった銀座の街を久しぶりに見たいと思ったからです。ここ数年の団体旅行で来る中国人客は本当に銀座の通りという通りを埋め尽くしていて、どこを歩いてもやや訛りの強い中国語が聞こえてくるものでした。果たしてここは本当に日本なのだろうか、もしかしたらとっくにこの街は中国に占拠されているのではないか、とまで思ってほっぺたをつねってみたくなるくらい、私にとってはちょっと異常な状況でした。思えば、おもてなしか何だか分かりませんが、オリンピックが決まった頃から不思議な観光客目当ての幟やらサービスが銀座の街に少しずつ浸透するようになったと思います。
それでも最初はちょっと遠慮がちでした。元々から通っている日本人の常連さんはもちろん大切にするわけですから、商品棚の隅っこにおまけみたいに英語や中国語の商品説明が並んでいるだけだったと思います。それが数年前くらいから大々的に外国人観光客をターゲットにした商売が増えてきて、最近ではあまり悪目立ちしなくなりましたが、銀座で爆買いした商品を持って帰るためのスーツケース屋さん(それも中国製のスーツケース)が中央通りの良い場所に店を構え、本当に飛ぶように売れてしまうといった狂想曲が毎日のように繰り広げられたものです。その当時私は銀座にある会社で仕事をしていたものですから、「まあなんという下品な買い方をするのだろう」と眉をひそめながら、彼らの乱暴な歩き方に気を付けながら道の端を避けるように歩いたものでした。
さて、コロナウィルスです。この騒ぎはまだどういう終息を迎えるのか全く見通しがつきませんが、あれほど猛威を振るった団体客たちが今度は日本に来ること自体出来なくなってしまいました。あれだけチャイナマネーに支えられていた銀座の街は、今度はどんな顔をしてこの危機を乗り越えようとしているのだろう。そう思うと、早く街の状況を知りたくなって、今日ようやく行く事が出来たわけです。一言でいうと、やはり街は以前に比べれば閑散としていました。しかしよく観察すると、アジア系でない外国人も普通に歩いているし、通りを歩く人の大部分は日本人で、なんだか90年代の銀座に戻ったかのようでひとりでにワクワクしてきてしまったのです。「ああそうだよ、昔はこういう感じだったよね」と独りごちながら、横一列で歩道をふさいでも何とも思わない人々がいなくなった中央通りを楽しく歩きました。今朝は少し雨が降りましたが、お昼前から天気が良くなり気温も上がったのでとても気持ちが良い小春日和の天気だったのです。ただどうしても花粉は飛び始めているので、花粉症である私はマスクを外すことが出来ず、時折クシャミをしながら楽しく店先を拾い歩くことが出来たのです。お昼は馴染みの焼き鳥屋さんに行く事にしました。店員さんも顔を覚えていてくれて、懐かしい気分で実に美味しく焼き鳥定食を食べました。これだけきちんとした味付けのものが1000円台前半で食べられるというのは本当に大変なことだと思います。決して銀座のテナント料は安くはないので、あるいは他の店舗や事業で儲けているからとんとんなのかも知れませんが、下手な都市で中途半端なごはんを食べるよりもやはり銀座でお手頃ランチを食べた方が幸せなことに思えます。久しぶりにここにこれて良かったと思いました。食後は、これまた昔いつも通っていた純喫茶に向かいました。銀座のコーヒー屋は店によっては常連客用にコーヒーチケットというものを売っていて、これを事前に回数券のように購入して、来店するたびに一枚ずつ切っていくので毎回会計をすることなく、常連として店に文字通り通うことが出来るのです。私も職場こそここではなくなりましたが、週末など休みの日には時々銀座に来ることもあるので、以前のチケットはまだそのままキープしておいてもらっています。そして店員さんたちに一通り挨拶して、モカマタリを注文して優雅な昼下がりを過ごすことが出来ました。
 そして高級店をいくつか見て回ると、やはり買っていってくれる人々がいないものだから店員さんも皆暇そうです。本来なら今でも旧正月の余韻が残っていて、多くの人が毎年大量にお買い物をしていってくれていたわけですから、このような状況になって果たして大丈夫なのか、他人事ながら心配になってきます。
それにしても、街を歩く人の層が少しずつ変わっていくのもこの銀座の街の良さではありますが、まるでエアポケットのように、観光客が多すぎない現在の状況が発生したというのは、お隣の大国にとっては大変な事態かとは思いますが、私個人にとってはちょっとしたご褒美のような、と言っては語弊があるかもしれないけれども、懐かしい昔の街の空気を吸えたようなそんな一時だったように思います。

ありえへん世界

テレビ東京で放送されているありえへん世界という番組を再放送で見たりするのですが、この番組はめちゃめちゃ面白いですね。
今見ているのはテレビ東京55周年企画ということでテレ東に眠っていたお宝映像などを紹介しているのです。
これは前回の続きなのですが、色々な芸能人のお宝映像をいっぱい流しています。

びっくりした人はいっぱいいますね。
驚いたのは彦摩呂さんです。
俳優をしていた頃の映像だったのですが、かなりスリムでイケメンなのです。
彦摩呂さんと言われなければ絶対に気づかないくらいの変わりようです。
こんなに人って変わるんだなと思いました。
あれはもう別人と言っても過言ではないでしょう。

おはスタに出ていた頃の蒼井優さんも紹介されました。
おはガールをしていたということを知りませんでした。
今ではすっかり清楚な女優さんになりましたが、あんなはっちゃけている時代があったのですね。
中学生らしくて可愛いなと思いました。

今は司会に引っ張りだこの毒舌の坂上忍さん、子役時代の映像が紹介されましたが、当時10歳で時代劇に出ていたのですが、泣きの演技が上手いのです。
天才子役であるということが伺えますね。
22歳くらいの頃のモノマネをしている映像では、アイドルのような笑顔が魅力的でした。
今もああいう笑顔をしてくれたらいいんですけどね。

見ることが出来て嬉しかったのはギャル曽根さんです。
凄く懐かしかったです。
今のギャル曽根さんも好きだけど、10代のギャルとして大食いしていた頃のギャル曽根さんの頃から本当に大好きでした。
こんなに長い間活躍してくれていることが嬉しくて仕方がありません。

黒柳徹子さんのはめちゃくちゃ面白かったです。
なんと徹子の部屋がスタートする前に、テレ東で似たような番組が放送していたみたいですね。
なんとゲストよりも徹子さんがしゃべりまくりのマシンガントークで、ゲストがおいてけぼりにされている状態です。
よっぽど話すことが好きなんだろうなと思いましたね。

ドラえもんの声優さんたちが3人で混浴というVTRも面白かったです。
ドラえもんとのびたくんは男ですが、しずかちゃんは女です。
でも声優さんは全員女性なので、一緒に女湯に入って「しずかちゃん入ってるー」「のびたさんのエッチー」というアドリブをしているのが超面白かったです。
大山のぶ代さんは今施設に入ってしまったということですが、またいつかあの声を聞きたいです。
そしてしずかちゃん、のびたくん役の声優さんにも長生きをして欲しいですね。

有村架純さんのギャル役でセクシーな演出があった深夜ドラマに出ていたというのも驚きました。
清楚なイメージしかないのでこういう役も出来るんだなと関心しました。

この番組にレギュラー出演している美輪明宏さんの特集も面白かったです。
丸山明宏から美輪明宏に改名する時に特番なんかが放送されていたのですね。
三輪さんづくしの30分だったそうです。
33歳の頃のドラマの中の三輪さんもステキでした。
今でも第一線で活躍しているのは凄いです。
この当時は中性的な芸能人も少なかったでしょうし、苦労などもあったかも知れませんよね。
でも三輪さんは最高に素晴らしいです。

芸能人たちのお宝映像も面白かったのですが、前回の放送も凄く良かったです。

テレビ東京は災害や事件が起きた時にも緊急放送に切り替えずに普通の番組を放送していますよね。
昭和の時代に大事件が起きた時に他局は臨時ニュースに切り替える中、テレビ東京だけはムーミンを放送していたようです。

それには理由があるみたいで、テレ東は予算がなく、人員を確保することが出来ずそれで臨時ニュースに切り替えることが出来ないということらしいです。
前々から低予算であるということは聞いていましたが、臨時ニュースに切り替えがすぐ出来るようになるといいですよね。

私がびっくりしたのは、テレビ東京に刃物男が乱入したという事件でした。
確かこれは1998年くらいの事件だったと思います。
この当時私はテレビ東京の映らない家に住んでいたのですが、こんなことが起きていたなんてびっくりしました。

刃物男がテレ東に来た理由は、女子アナに会わせろという理由だったそうです。
だからと言ってなぜ刃物なんて持って来るのでしょうか。
あまりにも物騒です。

刃物男が職員を追いかける様子とかも残っていて、凄く緊迫している様子が伝わって来て怖かったです。
よく死人が出なくて良かったなと思いました。

刃物男はガードマンたちが数人で取り押さえて、刃物も無事に奪ったのだそうです。
ガードマンたちの活躍格好良かったですよ。

その当時のテレビ東京はセキュリティが甘く、ガードマンの数も少なかったみたいで充分な警備も出来なかったそうです。
誰でも簡単に入って来ることが出来るような仕組みだったらしいですよ。
これは本当に貴重な映像だと思いました。

そして2013年の隅田川花火大会の生放送、あの時は本当に悲惨でしたよね。
まさか花火大会が中止になって過去の花火大会の映像を観賞するという前代未聞な出来事でした。
でも番組自体を中止せずに起点を利かせて番組を続けたのは良かったと思います。
樹木希林さんがその時のゲストに出ていたことはすっかり忘れていました。

私の子育てで感じる自分のストレス

私は最近ものすごいストレスを感じています。
今日もストレスを抱えてしまいました。
その理由はすべて私の子育てにあるんですが、なかなか人生思うようには行かないと思うことが多いです。
私には子供が二人います。
そのうちの下の子が今年二歳になるのですがとてもわんぱくなのです。
それで今日もなのですが毎日のように家のなかを荒らされて困ります。
男の子であればしかたがないと目をつむってあげることも大事ですがやっぱりつらいことの方が多いです。
それにまだ授乳中で断乳ができておりませんので、なかなか体力的にもしんどいことが多いです。
今日起こったことなのですが食器棚にガラス製の引き戸があるのですがその引き戸を壊され割られました。
とてもイライラして子供に当たってしまったのですが後片付けが大変でしたし危なかったです。
なかなか人生は思うようには行かないと思うことの方が多くて色々としんどいことが多くて困ってしまいます。
それに子供の遊びについて行けずに毎日毎日辛くてしんどいことが多いです。
今日も一日あっという間に終わってしまいました。
本当はもっともっと自分の時間がほしいと思うことが多いです。
なのに子供の面倒を見ていると絶対に色々と大変なことが多くて困ってしまいます。
子供はかわいいですけどけっこう私の性格上しんどいなと感じてしまうことが多いです。
それに子供がいるとなかなか思い通りにいきません。
子供中心の子育ては大変ですしやっぱり近くにおじいちゃんもおばあちゃんもいない子育ては辛いです。
せめて近くに誰か頼れるひとがいれば良かったと思うことが多いです。
なかなか人生思うようにいきません。
それに私はこのまま人生をおえてしまうのかと思うとものすごくしんどいです。
なんだかとても辛く嫌な気持ちになってきました。
どうして私はこんなにつらい思いをしているんだろう、そんな気持ちになりました。
多分産後うつなんだと思います。
元々躁鬱でしたがそれがもう少ししんどくなってしまった感じです。
正直笑う笑顔も作り笑顔って感じです。
なかなか人生思うようにいきませんね。
どうしてこんなにも辛いのでしょうか?
私は自分のことを攻めてしまうことが多いのでなかなか自分の気持ちに正直になれずに落ち込むことが多いです。
主人のように心が強ければいいのですが私は何かにつけて繊細でこの性格をなんとかしたいと思ってばかりいます。
今年は運勢的にもあまりいい運勢ではないようなので一年間もう少し耐えて行くしかないのかなと思っています。
けれども運勢的にはなかなかそう感じていてもその中で少しだけいい気持ちになれることもあるので少しは報われているかなと思います。
とは言っても毎日戦争と言う感じでなかなか忙しさに終われているのですが最近は少しだけ余裕ができています。
ただその余裕も子供が寝静まったあとだけの時間なので少ない時間です。
なかなか自分の時間というものがとれずにいるのでどうしてもストレスがたまってしまうんですよね。
このストレスをどのように解消していったらいいのかが今の私の悩みになります。
なかなか思うような人生を歩めません。
なかなか人生思い通りに行かない子とが多くていなくなりたいと思うことが多いです。
けれどもいなくなってしまったら子供たちを見るひとがいなくなってしまうために見ていると言う感じです。
正直なかなか気分的にもいい気持ちになれませんし体調が悪いことが多いです。
なかなか疲れがたまっているせいで気持ちにもゆとりが持てません。
私はもっと子育ては楽しいものだと思っていました。
けれども子育てがこんなにもつらいものかと最近は感じてしまっています。
とても辛いですしとても嫌な気持ちになります。
私は普段からあまり人の気持ちに敏感ではないのですが子育てをしている世の中のお母さん立ちの気持ちが少しはわかるようになったかなと思います。
それでもこれで働いている人もいるんだからすごいですよね。
私には働く気力もありません。
なかなか人生思うようにはいきません。
どうしてこんなに辛いのだろうと思います。
精神的な辛さを少し楽にしたいです。
最近は頭が痛くて髪の毛が剥げてきている気がします。
あまり悩まずに人生を楽しみたいですがそんなこと無理かもしれません。
どうしてもいろいろ考える子とが多くて私の脳みそはいつもパンパンです。
どうしてこんなにも大変なのかなと感じますが自分一人だけではないと言うことを感じてしっかりと育児をして行くしかないのかなと感じています。
ほとほと疲れきっていますがなんとかやっていきたいと思っています。
世の中のお母さんは強いと思います。
私は世に中のお母さんと比べ物にならないくらいお母さん業できていない気がします。
少し切ないですしもう少ししっかりしなくちゃと思っています。
いつも口ばかりなのでもう少し行動にうつしていきたいなと思います。
明日も子育て頑張ります。
早く楽になりたいです。

八景島シーパラダイスに遊びに行きました

先週、夫と一緒に八景島シーパラダイスに遊びに行きました。
夫と2人きりで外出する機会はなかなかないのですが、今回は1歳の息子を、両親に短時間預かってもらい久しぶりに2人でデートをしてきました。
私も夫も朝からウキウキしていました。
ほんの数時間ですが、「思いっきり楽しもうね!」と言って意気込んでいました。
子供がいると乗れない乗り物にもたくさん乗りました。
私は絶叫系が苦手なのですが、夫は反対に大好きです。
あれに乗ろう、これに乗ろうと誘ってきます。
私はもう少し子供向けな乗り物で体を慣らしてからと必死に説得していました。
一番、恐れていたのは「バイキング」です。
小さい頃に好奇心から乗った時の恐怖心が忘れられず今日までずっと避けて通ってきた乗り物です。
ほぼ無理やりと言わんばかりに、夫に腕を掴まれ「バイキング」の列に並びました。
心臓がドクドクしてきて、夫に「やっぱりやめる!」と言いましたが夫は掴んだ腕を離してくれません。
なんだかんだ、以前乗った時は小さかったですしもしかしたら楽しいと感じるかもしれないといちるの望みを持ち、
私はアトラクションに乗り込み、安全バーを腰のところで下げられている状態まできました。
自分に楽しいかもと言い聞かせていましたが、恐怖心には勝てず「もう、終わった」という気持ちと同時に夫に腕を掴み、早く終わってくれと願いました。
いざ、アトラクションが動くとあの心臓が浮く感覚は小さい頃から何一つ変わっていませんでした。
乗ったことを後悔しました。
乗っている間も、夫の腕を掴む手は大きく震えていたそうです。
必死に耐え、乗り終わっても足が震えて階段を降りるのも苦労しました。
大人になっても苦手なものは変わらないのだなと実感した時間でした。
夫は一緒に「バイキング」に乗れたことで満足したのか上機嫌になりました。
私の体調を徐々に落ち着き、任務を遂行した安心感から重かった肩の荷がふっと軽くなりました。
自分の中では小さい頃に苦手でも大人になって楽しめるようになっていたら嬉しいなと思っていましたが、私は克服できていないようです。
ひとまず、安心していると芸能人を発見しました。
オアシズの大久保さんとM−1に出場していたぺこぱさんでした。
普段、あまり芸能人を見る機会はないので夫と「すごいね〜!」と興奮してしまいました。
そのロケは、2人を見つけたシーパラ内のお客さんがハッシュタグをつけてツイッターで呟き、その呟きを手立てにして2人がお互いを見つけるという鬼ごっこでした。
企画自体が今時だな〜と感心してしまいました。
ロケにも遭遇できたので、今日来てよかったねと夫を話しました。
そのあとは、魚釣りをしました。
今の季節は鮭です。釣った分を調理して食べられるので私たちは6匹を釣りました。
普通の川や海で釣りをするのは難易度が高いですが、ここでは確実に魚が釣れるのでとても楽しいです。
でも魚が苦手で触れない私は釣った魚を夫にフックから外してもらう連続でした。
周りでは子供たちが楽しそうに親御さんが釣り方のコツを教えている光景がとても微笑ましかったです。
息子も大きくなったらここで一緒に魚釣りをしたいなと感じる時間でした。
それまでに母親の私も魚を触れるようにしないと息子に馬鹿にされてしまうなと感じました。
そっそく釣った魚を調理場に持っていき唐揚げにしてもらいました。
とっても美味しくてびっくりしました。
身が詰まっていて衣はサクサク、少しでお腹がいっぱいになってしまいました。
自分で釣った魚だから、余計に美味しく感じたのかもしれません。
命を頂いたことを実感しました。
この体験はぜひ、息子にもさせてあげたいと思いました。
とても楽しんでいたのですが、頭の片隅で気になっているのは子供のことでした。
ほんの数時間だったのですが、子供に早く会いたくなってしまいました。
十分に楽しんだので、夫とも「帰ろうか」と言って預かってもらっている実家に向かいました。
実家に向かっている車の中でも、今日起きたことを夫と話す時間がとても楽しかったです。
なかなか、2人で出かけることは難しいけどたまには両親に甘えてリフレッシュしようと。
ゆっくりと夫と話す時間も子育て中だとなかったりするのでこんな些細な機会も大切にした方がいいですね。
そんなこんなで、あっという間に実家に到着しました。
この日の朝、子供のお弁当を作って持っていったのですが綺麗に完食してくれていてとても嬉しくなりました。
久しぶりに会ったおじいちゃんとおばあちゃんに会えて息子は嬉しかったのか迎えにいった時に、キャッキャと楽しそうに遊んでいました。
それと同時に、自分の両親の存在をとても有り難いと実感しました。
普段の子育ては日中は1人でしていますが、近くに両親がいるという安心感があるからのびのびと子育てができているのだと思います。
日々の生活は周りのサポートによって成り立っているのだと実感した有益な一日になりました。

市役所で働いていた時の友達

私は、この前、久しぶりに、市役所で働いていた時の友達と会いました。
今から20年以上前、私が26歳の時、その友達と出会いました。
それは、私が就職して、2年目のことでした。
その友達と私とは、奇しくも同級生でした。
ですが、私が大学受験の時に、浪人していること、プラス、就職浪人もしていることから、その友達と、私は、同期入社とはなりませんでした。
私の方が2年遅れて、入社したのです。
私が入社して、2年目の春、その友達と私は、偶然、同じ部署で働くことになりました。
女同士、しかも、同級生とわかり、私と彼女は、すぐに友達になりました。
仕事も一緒、お昼休みも一緒に食堂で食べたりと、毎日一緒に過ごしていました。
そんな中で、恋愛のことや、家族のことなど、いろんなことを話すようになっていったのです。
仕事帰りには、繁華街に出て、夕食を一緒に食べたり、映画を一緒に見たり、買い物をしたりしていました。
しかし、その友達は、一緒に働いて、ちょうど1年経った時、医師の男性とお見合い結婚し、寿退社することになったのです。
私は、せっかく仲良くなったその友達と、1年で、離れ離れになるのが少しつらかったですが、結婚して、退職というおめでたいことでしたので、「おめでとう」と祝福して別れました。
結局、それから16年間、私は、市役所で働き、私も、病気になったことがきっかけで市役所の仕事を退職しました。
友達の彼女が市役所を退職してから、私と彼女は、ずっと年賀状のやり取りだけは、切らさずに、続けていました。
1年に1度、近況を報告し合うような形で、年賀状のやりとりしていた私と彼女でしたが、一昨年、私は母を亡くし、喪中はがきを友達に出しました。
母の死から1年経った昨年の12月、私は、年賀状を彼女に出しました。
しかし、どういうわけか、その友達から年賀状が来ませんでした。
「これまで、毎年、年賀状が来ていたのに、なんかおかしいな」と思った私は、思い切って、久しぶりに、彼女に、 LINE でメッセージを送ってみることにしたのです。
実は、私とその友達は、今から12年前にも、会ったことがあり、その時に、携帯の電話番号を交換していたため、LINE の自動友達追加で、彼女らしき人の名前が上がっていたのです。
その友達のラインに、メッセージを送るのは、初めてでしたが、彼女と年賀状のやり取りが途切れるのがどうしても嫌で、イチカバチカで 、勇気を出して、LINE にメッセージを送りました。
「久しぶりです。元気ですか?年賀状送ったんだけど、届かなかったたみたい。住所、変わったの?」とメッセージを送ると、その翌日、「お久しぶり。元気だった?実は、2年前から、実家に戻ったよ」と、返事が返ってきました。
私は、「やっぱり、彼女だったんだ」と確信し、メッセージが返ってきたことがすごくうれしかったです。
私は、さっそく、教えてもらった実家の住所に、年賀状を出しました。
「今度、ランチでもどうですか?」とメッセージを書いて、出した年賀状。
すると、彼女から、「年賀状、ありがとう」と LINE に返事が来ました。
それで、約束をし、14年ぶりに、彼女とランチすることになりました。
私と彼女は、偶然にも、住んでいる地域が近かったので、彼女は、車で、私の家まで迎えに来てくれることになりました。
実は、私は、足が不自由で、最近は、歩行器を押して歩くようになっていました。
そのことを彼女に打ち明けると、彼女は、「分かったよ。じゃあ、車で迎えに行くね」と快く言ってくれ、車で迎えに来てくれたのです。
私は、うれしくて、そんな彼女にお土産を渡したいと思い、ネットで、ワッフルを購入しました。
そして、当日、彼女に、お土産として渡そうと思ったのです。
ランチに行く当日、彼女は、時間通りに、私の家まで来てくれました。
初めて、私の家に来たのですが、場所は、すぐわかったようです。
私は、歩行器を玄関に出し、「こんなもの、使わなきゃ、歩けなくなっちゃった」と照れくさくて、言いました。
しかし、彼女は、「そうみたいね」と言った後、「何か、手伝えることあったら、言ってね」と微笑んでくれたのです。
そして、快く、車のトランクに、私の歩行器を載せてくれました。
私は、その時、「久しぶりでも、やっぱり、友達ってすごくいいもんだな」と痛感しました。
「久しぶりに会うわけだし、歩行器を押している私を見たら、驚くだろうな。戸惑うかな」と実は、会う前、ちょっと、ドキドキしていたのです。
でも、実際に会ってみると、まるで、時間が逆戻りしたかのように、すぐに、打ち解けることができました。
近くのカフェに食事に入り、私と彼女は、時を忘れて、3時間くらい、「あの時、こうだったね」とか、「あの時、仕事帰りに映画を見に行って、楽しかったね」などと、昔話に花を咲かせました。
当時、一緒に働いていた同僚たちの話も、話題に出ました。
「そういえば、あの時、同じ部署で働いていた〇〇さん、今、うつ病になっているらしいよ」と彼女から聞いた私は、とても驚きました。
そんなこんなで、いろいろ話をしていると、時間があっという間に過ぎていきました。 
カフェで、話をしたのは、正味3時間ぐらいでしたが、その後も、私と彼女は、話が尽きず、場所を移動して、夕方5時半ぐらいまで、いろんな話を聞きました。
それは、とても楽しい時間でした。
夕方になり、彼女は、「両親が入院していて、お見舞いに行くから」と言っていて、私は、そう長く引き止めることができず、「また会おうね。楽しかったね」と言って、家に帰りました。
私は、今、53歳になりますが、この歳になると、「友達って、すごく大切」とつくづく、痛感しています。